野々村仁清の鶴首茶入である。薄つくりの優れた轆轤技術と薄掛けの釉薬で垂れを表現し景色を見せ、手取りも軽く卓越した技術を見ることができる。本作は朝吹柴庵旧蔵品で昭和3(1928年)に発行された『朝吹柴庵遺愛品入札もくろく』図115に掲載され売立に出された茶入である。表千家12代惺斎 敬翁宗左(文久三・1863~昭和十二・1937)の書付箱 銘緑毛が伴う。 朝吹柴庵(1849~1918)は大分県出身で本名英二、柴庵と号した。益田孝(鈍翁)のもと三井財閥を支えた三井四天王の一人であり、近代数寄者の一人でもある。 仁清は江戸初期の京焼の名工。丹波野々村の出身と伝えられ生没年は未詳。京都粟田口で修行し瀬戸にて茶陶を学んだ。帰洛後は茶人の金森宗和の推挙により御室仁和寺の門前に開窯した。作品はほとんどが茶器や懐石道具で、金森宗和好みの「きれいさび」をとらえたその優雅・華麗な作品は京都の上層階級の間で人気を博した。